きっとさぁやに怒られる物語

つやつやと光沢を放つデスクを爪で弾きながら、
さぁやはハイバックのプレジデントチェアをくるりと回す。
耳に押し当てた受話器から五回目のコール音が響く。
コン、コン。
さぁやの爪がもう二度、デスクを叩いた時、
カチャリ、と音がしてやっと電話が通じた。
「はい、パブ・軍手ハウスです」
いらだちを含んだため息を大きく吐き出して、
さぁやの冷たい声が響く。
「はい、じゃないでしょう。電話に出る時は」
「あっ、すみません。お疲れさんです、社長」
「何度言えばわかるの。意識が足りないのよ」
チェアを回し、さぁやはデスクに向き直る。
デスクの上にはここひと月の売上げ帳簿が広げられている。
「どうなってるの、キープの数は」
「は、はあ」
電話の向こうで、声が小さくなる。
「年度末の工事が済んで以来、ちょっと伸び悩んでいて」
「それで手をこまねいて待っている、というわけ?
営業努力が足りないわね。現場へは行ったの?」
「現場、ですか?」
「自ら現場へ出て、働きながらお客さまを拡大するの。
チャンスは自分でつかむものよ」
「はっ、はい!わかりましたっ」
受話器を戻しながら、さぁやは小さく首を振る。
相変わらずだ。何も変わってはいない。
軍手ハウスが、まだピックハウスという名前だった頃から、
この男は自らチャンスをつかもうという貪欲さに欠けている。
でも、とさぁやはチェアに身を沈めながら、ふと考えた。
私の今は、この男がチャンスをみすみす見逃したおかげで
あるようなもの。少しは感謝しなくちゃいけないのかもね。
さぁやの脳裏に、ある冬の夜の出来事が甦る。
店舗の移転を迫られ、悩んでいた頃。
そう、あれは2006年。もうすぐクリスマスという夜だった。

照明を少し落とした店内には、クリスマスツリーのライトが
点滅している。
「そうかぁ、これから大変だね」
ピックハウスのママ、Annieの言葉にさぁやは頷いた。
「お店の場所は決まりそうなんですけど、お店の名前も
替えなくちゃいけないし・・・」
この年末の忙しい時期に、さぁやの店「Link」は移転を
迫られていた。まだ、店を始めて一年もたってはいない。
良いお客さまとスタッフにも恵まれ、経営も順調だというのに。
なんとか急いで新店舗での営業を再開しなくては。
そんな気ぜわしい間を縫って、さぁやはピックハウスに顔を
出していた。
「あれ?さぁやさん、軍手ですか?」
バイトのみのりんが声をかけてきた。・・・軍手?
彼女はカウンターの上に置いたさぁやの白い手袋を見ている。
軍手ですって。失礼な。うちのお店のまりもたんからもらった
クリスマスプレゼントの手袋を、軍手扱いするなんて。
「ち、ちがいますよぅ。ほら、可愛いお花だって付いてるし」
「あはは、マスターとお揃いかと思った。職人の店で買ったんでしょ」
Annieが笑い声をあげる。ピックハウスのマスターは手荒れ防止に
軍手を愛用しているのだ。
「そうだ、新しいお店の名前『現場パブ・ワーク』にしたら?」
「いいねいいね、『職人パブ・現場』とか」
面白がってあれこれ言い始めるマスターとAnnie。
「そんなぁ。だったらピックハウスも軍手ハウスですよ」
言い返したさぁやの脳裏にピン、と閃くものがあった。
あれ?いいかもしれない。いけるかもしれない。
マスターとAnnieの表情を窺う。暢気に笑っている二人。
この人たちにとって、これはただの冗談なのだ。
こんなナイスなアイデアなのに。
「じゃあさ、さぁやはワークス・グループの社長になって、
その傘下に『職人スナック・ワーク』、『パブ・軍手ハウス』、
『出稼ぎミュージックハウス・現場&現場』が入るっていうのは?」
「みんな軍手をキープするんだよね」
「こちら、十年物の軍手でございます、とかね」
ああ、アイデアの垂れ流し。
いいの?もらっちゃうよ。このアイデア、そっくり使っちゃうよ。
さぁやは少し心にとがめるものを感じている自分を叱咤する。
何をためらっているの、さぁや。
チャンスはつかもうとする者にしか与えられないのよ。
そう、運命の女神は私に微笑んだの。
はやる心をひた隠しながら、さぁやはとっておきの笑顔を浮かべた。
「ひどーい。そんなの無理に決まってるじゃないですかあ~」

♪ぞうさん ぞうさん オラはにんきものぉ~

廊下から聞こえてくる歌声で、さぁやは現実に戻った。
妹のエリカだ。もう「クレヨンしんちゃん」は歌うなと言ったのに。
イメージダウンになるからやめなさい、と言い聞かせたにも関わらず
エリカはいつもこの歌を口ずさむ。
そういえば軍手ハウスがまだピックハウスだった頃、マスターの薦めで
「クレヨンしんちゃんとホイットニー・ヒューストンのデュエット」を
エリカが歌ったテープが、まだあの店には残っているはずだ。
流出でもしたら大変なことになる。早く回収しなくては。
コツ、コツ、コツ。
さぁやは思慮を巡らせながらデスクを爪で弾く。
すんなりと渡すだろうか、あのマスター。
いいわ、ゴネたりしたらノルマを増やすと言えばいい。

♪オラはすごいぞ 天才的だぞ 将来楽しみだぁ~

やめなさい、と言っているのにエリカったら。
お姉ちゃん、そろそろ怒っちゃうぞ。
さぁやは廊下へ向かって声を張り上げた。
「エリカ!そんな歌じゃなくて、新曲の練習をしなさい!」
「あぁ~い、とぅいまてぇ~ん!」
それもやめろと言ったのに。

♪1、2、現場 2、2、現場
歌いながらエリカの声が遠ざかる。
東証一部上場企業にのし上がったワークス・グループの若き女社長
さぁやと、妹エリカは『ワークシスターズ』としてこの春デビューを飾った。
発売を控えた第二弾は郷ひろみの名曲のリメイク、『現場サンバ』だ。
♪現場、現場、現場サンバぁ~
かすかに聞こえるエリカの声に合わせてハミングしながら、
再びさぁやは受話器を取る。
「はい、出稼ぎミュージックハウス・現場&現場です」
「はい、じゃないでしょう、電話に出るときは。
今夜の現場ライブの曲目は何?・・・なんですって、吉田拓郎?
岡林信康にしなさいって言ったでしょう。オープニングはもちろん
『山谷ブルース』よ」
この後は、『パブ・軍手ハウス』から『レストラン・飯場』へ左遷した
Annieにも電話して活を入れなければならない。
ワークスグループ女社長・さぁやの一日は忙しい。


(この物語はフィクションです)

新店舗での営業再開に向けて、がんばれ!さぁや!!

メインダイニングはこちら   「Annie's Dining
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by onlymoonshine | 2006-12-29 20:18 | half moon
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