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美意識

最近になって気づいたのだけれど、
私にとってものごとを判断する基準は
美しいか、美しくないか、なんだろうと思う。

見た目や香りや、味わいなどについては
もちろん誰でも自分なりの嗜好があって、
自分にとっての正解が
他人にとっても正解である、なんて
押しつけがましい、おこがましいことは思わない。

自分が楽しむための物やことは、
他人にいくら変だといわれようが一向に構わない。
それが周囲にとって迷惑なものごとである場合は、
ひそやかな楽しみにする必要もあるけれど。

ことば、はとても難しくて、
ある人がつかうととても素敵に響いたり、
品を損なわず格好良く聞こえたりすることばが、
また別の人が発すると
まったく似合わなかったり、みっともなかったりする。

ことば、が人を選ぶのだと思う。

「品がよい」ことと「気取っている」ことは違うし、
「くずす」ことと「下卑る」ことも違う。
要はそのひとに何が備わっているか、なのだ。
ないものを、あるように振る舞えば「気取り」になる。
くずす、というのは、何かがそこにあるから崩せるのであって、
何もないところへさらにマイナスを重ねるのは、
ただただ下品な振る舞いになるだけだ。

これは、本当に昔、何かの本で読んだのだけれど、
ある家の娘が、真夏の昼下がり、
シュミーズ1枚の姿で部屋から出てきて裸足で台所に入り、
冷蔵庫から取り出した牛乳にそのまま口を付けて飲んだ、
その姿に胸の痛くなるような気品があった・・・、という
場面があった。
普通、これをしてしまうとだらしないだけの女になる。
気品というのは恐れ多いな、と感じて、
本のタイトルさえ忘れてしまったのに
なぜかこの場面だけが印象的に残っている。

ただ、品格というものは、
お嬢様やお坊っちゃまに生まれなくても備わるものだ。
それはやはり、そのひとの美意識によるものだと思う。
美意識と、その美意識に従って客観的に自分を観る目をもつこと。
似ているようで、まったく違っているものが
世の中にはあまりにも多くて、
だからこそ、勘違いしている人も大勢いる。

たとえば。

「堂々としている」ことと、「開き直る」こと。
「親しさ」と、「なれなれしさ」。
「はめをはずす」ことと、「悪のりする」こと。
「気を配る」ことと、「おもねる」「へつらう」こと。
「可愛がる」ことと、「見下す」こと。
「信じる」ことと、「依存する」こと。

一歩間違うことが大きな違いになってしまう。
そして、この一歩を見間違わせるのは
往々にして他人と、そして自分への甘えであり、
見間違わないために必要なのが
自分に対する厳しさなのだと思う。
きちんと自分を持っているかどうか、ということ。

「自分の良心に従って判断しなさい」、とよく言うけれど
その「良心」とは、私の場合、
「美意識」という言葉に置き換えられる。

その美意識に従って、長年自分をいましめているのは
「酔う」ことと、「酔っぱらう」ことの違いである。
酔う、ということばは美しいけれど、
酔っぱらう、ということばは美しくない。
この「一杯」を見間違えないことが、目下の目標ってとこかな。
by onlymoonshine | 2006-08-02 14:21 | moonless
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